Sonntag, Mai 28, 2006

Berlin Hbf.☆ベルリン中央駅


ベルリンの陸の玄関となるHauptbahnhof(中央駅)が長い工事期間を終えてやっとオープン。
この駅はなんと1995年から11年もかかって完成までにこぎついた。
どうりで、私はこの駅周辺を工事現場としてしか知らないはず。

なんだかんだいって、この駅の工事は予定よりもずっと時間がかかったらしい。最終的にサッカー・ワールドカップに間に合うように建築家の意に反して設計を変えたりして、怒った建築家と一悶着なんてこともあった。
でもこうして、かろうじてワールドカップ前に完成をむかえ、工事の責任者達は大いにホッとしたことだろう。

さて、この長い週末はクリの出身地ブレーメンで過ごしたのだが、この中央駅オープンを向かえ、行きは今まで通りベルリンの玄関口だったZoo駅からの出発で、帰りは新玄関口、中央駅への到着だった。

中央駅に初めて降り立ち、その大きさと入っている店舗の多さ、そして人の多さにベルリンならぬものを感じる。
日曜と言う事もあってか新中央駅をただ単に見に来ている人も大勢いるのだと思う。駅に入っている店は日曜もやっているので、わざわざ買い物に来ている人もいるのかもしれない。大きな荷物を持ってその人ごみをかき分けやっとこさ乗換え。ふーしんどい、でもごみごみしているベルリンなんて滅多にないから変に新鮮・・・。

ドイツ統一後15年以上経った今、ベルリンを二つに隔てていた壁があった中央に新たな中央駅が完成し東西南北が結ばれた。
来たころは閑散としていたベルリンも年々町とともに人々が活性化してる感じ。サッカー・ワールドカップ効果もあいまって賑やかになりつつある今日この頃です。



Dienstag, Mai 23, 2006

日本の日

友達Cに頼まれ、彼のお姉さんが先生をしているポツダム(ベルリンの隣町)の小学校が開催した「日本の日」でお手伝いをすることに。
唯一の日本人スペシャルゲストとして(おいおい)小学1年生から3年生42人を相手に孤軍奮闘。

とはいえ、皆人の話をちゃんと聞けるとてもおりこうなお子達ばかりだった。生意気でうるさい子供たちを想像していったのに拍子抜けするくらい。

まず、自己紹介から始まり、歌の時間。先生が日本の童謡を教えて下さい、と言うので、日本の童謡「ぞーうさん、ぞーうさん♪」(わかります?)を披露。
皆、聞いたこともない日本語の歌詞を一生懸命聞き取って一緒に歌ってくれる。
なんか子供ってかわい~な~~。
2・3回歌って、一番はマスター。すばらしい。

その後、日本についての質問コーナー。
子供達の間でホロスコープが流行っているのか何なのか、○○座って日本語でなーにー?と言う質問が多かった。これを日本語で言って何の意味があるんだろうと思いながら、結局12星座全部日本語で教えてあげる。

続いて、グループ学習。
子供達は4グループに分かれて、日本にちなんだお勉強をするためにそれぞれの教室へ。私が受け持った教室は、日本語で名前を書きましょう♪教室。
皆さん筆と絵の具(黒)を用意して、布の上に名前を書く。(ちょっとお習字チック。でもなぜ布の上?)
ローテーションで20分ごとに入ってくる子供達相手に、書きましたカタカナで42人分の名前。
それにしても、最近の子供達の名前って変わったのが多い。
普通のドイツ名やヨーロッパでよくある名前の子は全体の4分の1ほど。親の出身国が幅広いのかなぁと思いきや、両親がドイツ人でも、エディーとかナンシーとかのアメリカ人っぽい名前だったり、更にはインド人の名前とか、アラブの名前なんかも。グローバル化現象が名前にも反映している~~。でも中には、ドイツの有名童話主人公の(架空の)名前がついた子もいた。(んーーこれは日本でもありそう。)親御さんたちの子供の名前に対する強い思い入れを強烈に感じる。

さて、そして最後は皆してプロジェクターで映し出された東京の写真をみる。この写真は友達Cが日本に行ったとき撮ったもの。わんさか典型的日本(東京)を紹介。中でも子供たちにうけていたのは自動販売機(飲み物の)。
一緒に手伝ってたCが、東京には自動販売機がいたるところにあります、と説明するやいなや、子供達は写真に写っている自販機をするどく見つけだした。
確かによく注意してみると次の写真にもその次の写真でも東京のいたるところに自販機が必ず写っていた。わざと自販機を入れて撮ったのかと思うくらい。自販機が写っていなかったのは明治神宮の境内のみだったような・・・。
新たな自販機を写真の中に見つけては喜ぶ子供達。
うーーん、それにしても流石、自販機大国日本。

お昼は、給食。
ドイツの小学校は普通州立だと半日でおしまいで、給食もないのだけれど、ここの学校は私立で給食があった。授業はやはり昼までだけれど、普通は給食後夕方まで子供達を預かるそうだ。

給食は、ペンネ&ボロネーゼソース。ドイツらしくヴェジタリアン用のトマトソースも用意してあった。
お味のほうは・・・まぁ給食だから、ねっ。デザートのヨーグルトムースは美味でした。

給食後、我等が助っ人二人は子供達と別れを惜しみながらも学校を後にする。

私達が帰った後も子供達の「日本の日」は夜まで続く。
今日子供達は学校に泊まるらしい。
先生達は夕ご飯に日本のお味噌汁と焼き鳥を用意するそうだ。すかさずレシピ確認の為私に質問してきた若いお兄さん先生。初めて和食に挑戦するそうだ。
でも、すしのこ(粉末の寿司酢)を手にして、これ焼き鳥に使える?って。それはちょいと、いやかなり違いますよ、兄さん。パッケージに描かれている寿司の絵は目に入らなかったのだろうか。
しかもキッチンに用意されていた日本食の食材の中には梅酒や七味なんかもある。梅酒は先生達で夜中に一杯やるとしても、七味は何に使うのだろう・・・。お味噌汁にでも入れるつもりだったのか。

子供たちの夕食の行く末を案じつつも、なんかうれしいなぁとも思う。
こんな小さな町の小さな小学校で「日本の日」なんて開催してくれて、少しでも日本のことを知ろうとしてくれている先生や子供達がいると思うと、やっぱりなんか嬉しくなってしまうよ、日本人としては。
少しは私もそんな彼らのお役に立てたのだろうか。
でもまぁ少なくとも子供達が皆生き生きと楽しんでくれたから良しとするか。(って勝手な。)

実は、友達の頼みに、「午前中なら空けるよ。」と2週間前くらいに軽く答えた私は、一昨日の夜、朝6時起きしなければならないことを知らされ、この学校行きをいったんは後悔したのだった。
でも、そんな後悔どこへやら。早起きはやっぱり三文の得なのです。
笑顔の眩しい子供たちと文化交流を重んじるチャレンジャーな先生達に出会えて、一緒に楽しい時間を過ごせたこと、とても光栄に思います♪

Mittwoch, Mai 17, 2006

PCキーボード

今日は、相棒との出会い記念日。今年で6周年。(そんなこと誰も聞いてないってっ?)でも今日は祝わず、もう昨日祝った。なぜなら本日はクリには逃せないチャンピオンズリーグの決勝戦があるからだ。またサッカーに負けてもうた。さすが6年はきっついなぁぁ。というか、最初から負けっ放しだし・・・。


それは、さておき今日の本題。

今さらかと思いますが、PCキーボードのローマ字の並びは、国によって違います。
私はドイツに来るまで、ローマ字使用の国では、キーボードは英語圏の並びと一緒なのだと思っていました。(というか、各国のキーボードの位置がどうのなんてこと考えてもみなかった。)

でも考えてみれば、使う言葉が違うなら、使うローマ字の頻度も違うわけで、自分達の言葉に合わせてローマ字の位置を変えるのは当然のこと。
しかも、英語圏では使わないアルファベット、ドイツ語では、Ü, Ö, Ä、それからβ の文字キーも必要。英語圏のローマ字並びで良いわけがない。

とは言っても、実際はドイツ語用キーボードは、英語用とさほど違わなかったりする。
上に挙げたドイツ文字が、英語の@キー周辺に配置してたり、細かい記号の配置が少しずつ違う他は、YとZの位置が違う(逆転してる)のみ。

どっちにしろ、私は普段日本から持ってきたラップトップを使ってるし、論文も英文字入力で書く。ドイツ文字は使う頻度もそれほど多くないので、必要な時にだけ、ドイツ文字入力に切り替える。ドイツ文字は当然キーに表示がないので、最初のうちは@キー周辺を出したい文字が出てくるまで探り打ちすることも・・・。

そんなんで、実際ドイツ文字入力を特に必要としていなかった私。

ところが最近、大学のパソコン(ドイツ語入力)で一日論文を書くはめになり、このキーの小さな違いが、大きな苛立ちに。

唯一の違いといってもいいYとZの位置の違いが大いに気をさかなでる!!
ドイツ語ってZ使う率がほんとに多いしぃ。まぁだからZの位置が使いやすいはずのYの位置にあるんですがね・・・。

なんか普段、英文字入力に慣れすぎているせいで、どうしてもZ打つときに、Yの位置にいかない。
文献読んだり、文章を考えながらして打っているというのもあるのか、ZはYの位置と思っていても、次の瞬間には指がもとの位置に。
慣れってコワイ・・・。結局Zとの闘いは3・4時間続いた。
それでもこれが違いの少ないドイツ語用キーボードで良かったと思うべきか。

以来ドイツ語はドイツ文字入力で。
キーを打つ指もバイリンガル(?)目指し修行中です、はい・・・。

Sonntag, Mai 14, 2006

下駄サンダル

日本からの土産その1→寿司マグネットにつづき、その2は下駄サンダル。




見送りの空港でクリにねだられついつい買ってしまった。一応自分の分も。
彼は東京滞在中で既に足袋型ソックスを購入していたので、そのソックスを生かせるサンダルに目を奪われたらしい。

ソックスに書かれている日本語は気になるが、この際無視しよう。
クリはこの型のソックスを「cool~~♪」とか言って三足も買っていた・・・。

暖かくなって素足でいることが多くなったので、下駄タイプのサンダルは通気性もいいし、案外履き心地良く、我等のお気に入りとなっています。

Donnerstag, Mai 11, 2006

花粉症

ドイツの5月は、暖かくて爽やかで日増しに木々が青々としてきて、とっても素敵な季節だが、一つ困ったことがある。それは、私にティッシュとのど飴を手放せなくさせる、花粉・・・。

症状はいたって軽いが、この季節に限って鼻水・くしゃみ・のどあれが連発するのは、花粉症の外にはありえない。
不思議なのは、東京のスギ花粉には全く反応しないくせに、ドイツの白樺花粉には反応してしまうこと。
しかも、花粉症が発症したのは、ドイツに住みだして3年後のことだった。
それから、5月になると、くしゃみの連発。一回くしゃみすると、必ず3度は立て続けにくしゃみが出るので、結構しんどい。体力消耗。

花粉症対策といえば、日本ではマスク。マスクはマスクでも超立体型なんてあって、年々進化しているからすごい。
私なんかのくしゃみくらいならいいけど、ほんとに重症なドイツ人の友達には、あのスーパー・マスクを勧めてあげるが、マスクの話をしても、皆あまり乗り気でない。

確かにドイツでマスクというのは、かなり浮きそう。一人マスクはけっこう厳しいと思われる。ここではマイケル・ジャクソンとそのおっかけくらいしか、あんなマスクはしないだろう。

とはいえ、最近雑誌の裏かなんかの広告で、すごい花粉症対策グッツを見つけてしまった。
なにやら、直接鼻の穴に差し込んで電気を送るらしい。コンパクトで差し込みながら移動もできるという。でもこれつけて移動するくらいなら、マスクつけてくれー、と思わず爆笑。

やたらと爽やかなお姉さんの笑顔がこれまた素晴らしい。
花粉症から逃れられるのならば、見かけも何もあったものではないのかもしれません・・・。

Montag, Mai 08, 2006

Grillen・バーベキュー♪

ベルリンには、数えきれないくらいの大小の公園があちらこちらに点在しているが、この時期、天気が良くて暖かくなってくると、公園の近くから、肉やら魚やらを焼いているにおいが漂ってくる。皆さん、バーベキューにいそしんでいる様。ほんと、ドイツ人はバーベキュー好きである。

芝生があれば、どこでもバーベキューをしだすので、木々の多い公園、子供が遊ぶ為の公園では、バーベキュー禁止の札があちこちに立っているくらい。
天気が良くて暖かい=公園でバーベキュー(別に公園に絞らなくてもいいんですが、公園が主なのです)という公式が普通になりたっています。

さて、バーベキュー好きを人事のように書き出したけれど、私もけっこうなバーベキュー好き♪(というか、バーベキューを嫌いな人はなかなかいないと思うけど。)
友達と集まって、鉄板の上でジュージュー焼かれたソーセージや肉をほおばり、ビールを飲む。ク~~たまりませんねぇ。
友達皆で同じものをつつくというのもいいじゃぁありませんか♪ちょっと夏のお鍋的な要素もあります。

先週、会う友人会う友人に、バーベキューする人いないかねー?と聞いていたら、週末、おりました、私の願いをかなえてくれる人が!
携帯にかかって来た誘いに、ちょうど夕飯の買い物をするところが、バーベキューの買い込みに。

飛びつくように行ったバーベキュー目当ての公園は、やっぱり広大なバーベキュー場と化していた!
いたるところで、鉄板から煙が上がっている。においも更に食欲を掻き立てる。

やっと見つけた友達の輪。
バーベキュー・セットを用意してくれたヤニスは、バーベキューがどうしてもしたくなって、その日にバーベキュー・セット&炭を購入したそうだ。うーーん、友達頼ってる私とはやる気が全然違うなぁ~感心。
と同時に、やっぱ持つべきものは友達だぁと感謝するのでした。

Freitag, Mai 05, 2006

除籍の果てに・・・

大学で私が除籍の危機にあったことは、日本に行く前に書いたFUの罠でお伝えしたとおり。
3月末までに、学部の博士課程登録証明書を学籍登録課に提出しないと、除籍と言うことでしたが、まんまと、というか案の定というか、その日までに学部のほうでの証明書は出来上がらず、私は大学を除籍されました。

こうなると、残っている一筋の希望の光は、除籍から一ヶ月以内に学部の証明書を提出すれば除籍を取り消すことができると言うこと。

クリは私よりも一足早く日本へ帰ったので、彼には証明書がうちに届いているかチェックしてもらったけれど、学部からは何の音沙汰も無し。
もーーーたのむよ~~~。日本にいながら、やるせない思いで、学部にメールを書くものの返事は全く無し。(涙)

ベルリンに帰ってきても、まだ証明書が届いていない!メールを書いてもまだ返事が来ない。
4月の末まで、除籍取り消しの手続きをしないと、だめなのに・・・。

26日の木曜日、明日にはもう除籍の手続きをしないといけないと言うその夕方、半分あきらめて郵便受けを開けると、あった!!学部からの登録証明書!!

金曜日、普通は学籍登録課には受付の人しかいない日で、証明書を持っていったところで、実際手続きをしてもらえるか分からなかったけれど、とりあえず今日が学籍を取り戻せるかもしれない最後の日!!いさんで登録課へ向かう。

受付の人に今日除籍取り消し手続きをしないとだめなんです、と涙ながら(おおげさ?)に話をすると、「実際の手続きをする者は今日いないからできないけれど、今日あなたが来たと言うことを証明できるように判子を押しておくから、大丈夫。」と、それこそ太鼓判を押してくれた。

休み明けにまた手続きをしにきて下さいと言われ、私としては、休み明けでほんとに大丈夫なのかなぁと、懐疑的にならざる得ない。
とりあえず不安な気持ちで休み明けを待つ。

休み明けの火曜日、除籍取り消しの手続きをしに再度学籍登録課へドキドキしながら向かう。
学部からの証明書を提出すると、あっさり、除籍解除に。
ばんざーーーい!!晴れて、また学生!
正規の学生証が届くまで、仮の学生証をもらう。は~これでやっと、ベルリン、バス・電車・地下鉄も乗り放題。
チケットなくて、ベルリン帰ってきてからどこにでもチャリ移動で結構つらかったんだよね~~。
そんなことより、学生ステータス失ったら、それこそ、結婚でもしなきゃドイツに長期いられなくなるっつうの。あらゆる学生の特権もなくなるし・・・。
あぁ、ほんとギリギリセーフというのは、こういうことだ。
というか、なんでそこまで私を追い詰める?FUよ。

もーーこんな思いをするのはこれで最後にさせてくれぇと叫んだところで、FUの罠は気を抜いたところで、また襲ってくることでしょう・・・。

Mittwoch, Mai 03, 2006

Maibowle

5月のベルリンは、一年でやっぱり一番いい季節♪
青葉が眩しく、雲ひとつない青空が延々と広がっている。

さて、その5月にちなんだ飲み物といえば、Maibowle(マイボーレ)。
Maiとは5月のこと、そして、Bowleとは、アルコールの入ったポンチ(日本では、フルーツポンチでおなじみのポンチ)のこと。
マイボーレにおいてはフルーツが入っているのではなく、Waldmeister(直訳すると、森の巨匠、日本語では車葉草)という薬草が入っている。

摘まれた車葉草を少ししならせてから白ワインに30分ほどつけて、色と香りが白ワインについたら取り出す。白ワインは、炭酸入りの水で割って飲むのもおいしい。

普通、カフェででてくるマイボーレには、飲む前に摘みたての車葉草をまた入れて出してくれる。透明な緑のきれいな飲み物で、5月のボーレと言われるのが見た目からして分かる。

お酒ですが、ここはドイツ、皆さん休みの日は(休みの日ではなくても?)昼夜問わず飲んで陽気になってます。


















《Waldmeister/車葉草》

Montag, Mai 01, 2006

メーデー

メーデーと言えば労働者の日だが、ベルリンのクロイツベルク、特にSO36と呼ばれる地区のメーデーはここ20年近く極左のパンクやアナーキストが警察と激しく抗争するという伝統が続いてきた。
事の始まりは、1987年の5月1日。当時のベルリン左翼の間では、近く実施されようとしていた国勢調査に対してのボイコットが盛んに叫ばれており、その日、警察はボイコット運動の中心であった左翼事務所に「潜在的に危険な状況の進展」(Gefahr im Verzug)という理由から家宅捜査に乗り込んだ。クロイツベルクではドイツ労働組合によってデモが行われていたが、それがこれに飛び火し、終には警察が催涙ガスを使用するほどに対立がエスカレートした。
もともとSO36地区はドイツ統一後の混乱の最中、当時の政治体制に対するプロテスト行為の一環として住居を不法占拠する左翼思考の住民と警察との諍いが絶えない場所ではあったが、この年を機に、ベルリンのメーデーは、破壊と暴力がまかり通る国家権力VS左翼抗争の中心地になってしまった。

それからというもの「5月1日とその前夜はクロイツベルクには近づかない。」というのが、一般ベルリーナーの心得となっているくらい、メーデーと言えば、この場所はベルリンで(おおかたドイツでも)、もっとも危険な場所となってきた。
昨年までの傾向としては、極左のデモと言うより、ただ暴れたい若者が、メーデーを口実にドイツ中からベルリンに集まってくると言うような状態が続いていた。クロイツベルクの住人は、ほとほといい加減にしてくれ、と言うような感じだったし、主役(?)であるはずのパンク達にとってもいい迷惑で、デモの趣旨がどこにあるのか分からない状況であった。どうであるにせよ、デモの暴動なんて、理由が何であれ、はた迷惑に過ぎない。

こうした理由もあってなのか、去年にひき続き今年も、5月1日は静かに過ぎた。今年は暴動という暴動は全く起こらず、デモも至って平和的に終わった。
メーデー前日の夕刻、私はSO36付近にたまたまいた。普通ならそれは、一番危険な時間に一番危険な場所にいるのに等しかったはずなのに、辺りは全く平穏な空気が漂っていた。お店や銀行はいつものメーデーのように、早々と店じまいをして厳重に鍵をかけシャッターもしっかり下りていたけれど、それが無意味に思えるほどだった。
これが4年前、私の友人がここを通り過ぎようとしただけで、警察に暴動に来た若者と間違えられ護送車で連行され丸一晩警察署に閉じ込められることとなった、あの現場とは思えない。

平和だなぁ~とちょっとのびをして、ふいと空を見上げると、道の両側にあるアパートとアパートの間を渡して掲げられた「革命!」の旗が、ひとしきり平和になびいていた。
《革命の5月1日にむけて告ぐ。搾取・抑圧そして帝国主義的な戦争に抵抗する国際的な活動を!革命なしに自由はない!違う世界を作るのは可能である!》

平和的なデモでこそ、それまで目にとまらなかったメッセージも伝わってくる。