Montag, Oktober 31, 2005

スイス訪問

木曜から4泊5日でスイスへ行ってきた。初スイス!ドイツと国境を接しているわりには、今まで行く機会がなかったのだが、クリのツーリッヒ郊外に住むスイス人友達が誕生日会に誘ってくれたのと、ツーリッヒには長らく会っていなかったフィンランド人の友達カップルが住んでいることもあり、今回訪問にこぎつけた。
ベルリンから飛行機で1時間。思ったよりも飛行時間が短くて、結構簡単に来れてしまうものなのねぇ、とちょっと感激。しかも、ツーリッヒではドイツ語を話すので、最初はまだドイツにいるような錯覚を覚えた。が、一般の人々の会話を聞いてみると、ドイツ語と言ってもスイス訛りのドイツ語なので、全く何を言っているのか分からなーい。
ツーリッヒの人々は私達、観光客又はよそ者と話すときだけは、がんばって標準ドイツ語を使ってくれる。

滞在中は、ずっとフィンランド人のアイノ&フレデリック宅に泊まらせてもらい、色んなところに連れて行ってももらい、とてもお世話になった。
天候に恵まれ、ずっとぴかぴかの天気。
年に数えるほどしか見られないというアルプス山脈がベルビュー橋から毎日見えた。
二日目のツーリー山のハイキングでも、三日目のグラールスの登山でも暑くてみんな半袖でいた。もう、11月になると言うのに、信じられない暖かさ。

三日目のグラールス(スイスで一番小さいツーリッヒの隣の州)には、4人でレンタカーをかり、アイノの運転でむかう。ちょっと街からはずれ、山の方へ走ること1時間30分。のどかな村、青々とした芝生が眩しい牧場、きりたつ山脈、これぞハイジの世界!ハイジのテーマソングが頭を駆けめぐり、思わず、ヨーロリッホーとヨーデルしたくなる。村はすごく静かで、牛の首にぶら下がっている鐘だけが、ガランゴロンと響き渡っていた。
車から降りて山登り。
スイスの山歩きでいいのは、山道でだれかとすれ違うと、かならずグローチィとあいさつを交わすことだ。
グローチィと挨拶をかわすこと10回あまり、山登りの折返し地点として目標としていたお食事どころに到着。休憩&お昼。ここで食べたチーズはチーズ嫌いな私にも、びっくりするほど抜群においしかった。きっと新鮮な絞り立て牛乳を使っているのだろう。


初のスイス滞在は、主目的が友達との再会にあったと言うこともあり、誕生日会だけでなく、お酒大好き友達カップル(さすが北欧出身!)との行動で、お酒の量が、実を言えば、また半端じゃなかったんだな、これが。もう大酒を飲まないと誓ったのは、まだ舌の根乾かない2週間前・・・。
でも、友人との再会にお酒はつき物。こうして自然も満喫できたし、アルプスも拝めたし、中身の濃い、ちょっと長めの素敵な週末だった。


(週末更新できなかった分、スイスでの写真を載せました。)

Sonntag, Oktober 30, 2005

スイス写真集・ツーリッヒ3




























《写真:ツーリー湖、サイト・クルージング》

Samstag, Oktober 29, 2005

スイス写真集・グラールス



















《写真、上:スイスで一番小さなカントン(州)グラールス(Glarus)の山脈からシュヴェンディ村を一望、下:峠にある山小屋のレストランで》

Freitag, Oktober 28, 2005

スイス写真集・ツーリッヒ2



《写真:ツーリー山(Zürichberg)》

Donnerstag, Oktober 27, 2005

スイス写真集・ツーリッヒ








《写真一番上:リマット(Limmat)川、中2枚:旧市街、下:ツーリッヒのオクトーバー・フェスト》

Mittwoch, Oktober 26, 2005

Übung macht den Meister!

はぁーーー。(いきなりため息ですみません。)
外国語を話すってなんて疲れることなんでしょう。この疲労感、最近忘れていたけど、やっぱ、外国語にはつきものなんだわ。
この前書いたタンデムが本格的に始まって、始終英語時々日本語。
頭フル回転でぱんく寸前、口から泡が出そう。
外国語を話すときは、右脳も左脳もほんとフルで使われている気がする。
はーー音楽家と数学者の脳があればきっともっと楽なはずなのに!と思ってしまう。音楽家はきっと発音をきっちり耳で捕らえ認識できるだろうし、数学者は公式のような文法を頭で計算するように並べ替え言葉にできる。
3カ国語を自由に操るアンドレアも実は数学物理学者(全然そう見えないけど・・・)。
もーーもともとヨーロッパ語脳ができてるんだから、ヨーロッパ圏内の3カ国語くらいしゃべれたって不思議じゃないもんね、と悔し紛れに言ってやりたいが、私は、ドイツ語を英語にそのまま置きかえて、意味の通らないことを言ったりするので、ヨーロッパ語脳もなにもない。
やはり、練習あるのみなんだろうな・・・。

Dienstag, Oktober 25, 2005

ヨガ

スポーツの秋と言うことで、ヨガの話。

2年くらいから前から始めたヨガ。最初の一年はコースに通っていたが、最近は家で自主的にヨガっている。
ヨガにも色々種類があって、私のやっているのはハタ・ヨガ。私のヨガの先生によれば、ハタ・ヨガはヨガの基礎。自分の心と体の状態に耳を傾けながら、自分の体の限界に挑戦する。体の限界なんていうと、どこが足だか腕だか分からなくなりそうな不可解なポーズをさせられそうなイメージだが、そこは、初心者なので、かんべん。(ヨガでは10年以上師匠について学んで一人前と言う話を聞いた。)

ヨガってスポーツなのか?とお思いの方もいらっしゃると思いますが、実際やってみるとかなり汗かくんですよ、これが。気分転換にもなるし、爽快感を得ます。
簡単でよくやるのは、合掌しながら腕と体全体を天にむかってぴーんと伸ばし後ろにそるやつ(月のポーズ)。腰が伸びてきもちいい。あとは、鳩のポーズ、これはちょっと複雑なので、どんなのかは説明を省きますが、これも腰痛に良い。
一日パソコンの前に座って、読みつつ、書きつつしてると、体がヨガーー、ヨガーーーと訴えてきます。

Montag, Oktober 24, 2005

読書の秋


読書の秋と言うことで、今読んでいる本を紹介します。

ダン・ブラウンの『天使と悪魔 Angels & Demons(ドイツ・タイトルイルミナティ)』。逸話と化したはずの秘密結社イルミナティをめぐるスリラー。ヴァチカンを舞台に宗教と科学の対立が引き起こした悲惨な歴史が現代によみがえる。ハーバードの象徴学の教授 Robert Langdon がイルミナティの謎に迫る。


ダン・ブラウンと言えば、昨年かなり話題になった『ザ・ダヴィンチ・コード』の方が有名。この本の舞台は大部分がパリで、本の中に出てくる名所をまわる、ダヴィンチ・コード・ツアーというのも実施されたくらい。更にトム・ハンクス主演で映画化も決定。

本当は、ダヴィンチ・コードだけを読もうと思っていたんですが、同居人に先を越されたので、このシリーズの第一作品目『天使と悪魔』のほうを先に読んでます。二つの作品は続きものではないので、どちらかを先に読まなくてはならないと言うのではないですが、とりあえず。ちなみにどちらも日本語訳あります。

700ページわたる結構分厚い本なので(英語&ドイツ語版はね)、読み始める前はちょっと躊躇してしまう感じだったのですが、スリラーというのは、ハマるとどんどん読み進められちゃうので、アル意味危険です。
読まなきゃいけない文献が山のように積んであるのに、ついつい、こっちのイルミィーのほうに手が出てしまう。こまったもんだ。

Sonntag, Oktober 23, 2005

結婚と姓

さて、友達の結婚式に参加するたびに、クリと私の間にも結婚という言葉が日増しに出るようになりまして、今日の朝食の話題は結婚。

ふとした話の展開で、クリが「kaoluの名字は結婚したら僕の名字になる」と言うことを言ったので、私はちょっと待ったーー!をかけた。だって、私は昔から夫婦別姓推進派。
単に別姓がいいと言うのではなくて、私は女性が結婚したら男性の姓をつぐのが当たり前という考えはどうかと思うし、家族が同じ姓でないと家族じゃない、一体感がないと言って、別姓という選択肢を与えない社会は、そりゃ違うんじゃない?と思うのです。
「仕事上別姓の方が好都合だから、私達夫婦だけど紙の上では離婚しました。」という日本夫婦の話を幾度か読んだし、実際わたしの大学の先輩にもいる。

幸いドイツは夫婦別姓が認められている。
私は自分の今の名字を気に入っているし、クリの名字は私の名前としっくりゴロが合わないし、なによりも結婚して名字が変わったから自分のIDを変更しに奔走するのもめんどうだ。
私は、結婚しても自分の名字でいるよ。と言うと、クリは家族は同じ名字の方がいいよーと言う。論理派リベラルな彼にしては結構情緒的な意見。じゃあ、クリが私の名字になれば?と言うと渋い顔。これだから男達は・・・。
そうして、我らが姓の提案大会。
ドイツ人の結婚している女性で多いのは、自分の元々の姓を旦那の姓とハイフンで結ぶやつ。例えば、Müller-Schwarznegger みたいなかんじで。個人的には長くて面倒なのでこれは避けたい。
じゃあ、名字をとりかえっこしようと言う意味の分からない提案。あげくは、新しい自分たちだけの家族姓をつくるというもの。でもこれドイツでだって法律で認められてないっつーの。
最終的にはじゃんけん三回勝負で勝った方の姓をとると言う話になった。
ムムム。
結婚後の姓がじゃんけん三回勝負にかかってるなんて。私達けっこう、じゃんけん三回勝負を決めごとに使ってきたけど、結婚後の姓までこれでいくか!?
乞うご期待・・・。

Samstag, Oktober 22, 2005

りす・リス・栗鼠

最近、自分の日本語能力の衰えを感じる。日本人とはいえ、日本語を使わなければ忘れていく。
日本語教師や、日本関係の職場で働いていたときは、定期的に日本語を使っていたのでまだ良かったが、最近日本語を話すと言えば、ここでの唯一日本人の女友達Yと、あとは、たまに電話で日本の家族とのみ。
最近困るのは、日本語を話す少ない機会である、その女友達Yとの日本語も結構変になってきているからだ。私達の会話にはかなりの割合でドイツ語単語が入ってしまう。ああこれではいけないな。と思うのだが、お互い面倒なのでわざわざ日本語の単語を思い出そうとかしない。

こういう、怠惰さがたたって、この前、ある他の女友達と公園をブラブラしていたときのこと、いきなり、リスが目の前に現れ、二人で「わーかわいいー。」とか言って騒いでいたとき、ふいに彼女がリスって日本語でなんて言うの?と聞いてきた。その瞬間、私の頭からリスの二文字が消え去ってしまったのだ。この茶色いしっぽのふさふさしたかわいいドングリを集める動物の名前がぁ日本語で出てこない。
えーとかうーんとか言いながら、ちょっと待ってちょっと待って、今思い出すから、と時間を稼ぐが、思いつかない!!
しまいには、リスという漢字、栗と鼠の二文字が頭をよぎるのに、それをどう読んでいたか思い出せない。私の頭はどうしちゃったんだーーと焦ると更に思い出せない。
しばし、こんな自分に困惑しつつ、彼女との話題が変わっても、頭の隅でリスの姿を想像し、日本語で何だったか考えること公園の端から公園の端。
ぱっと、後光が差したかのようにひらめいた。りすだよ、リ・ス!

やはり、日本語だって、日々訓練しなくてはと思う。ブログで日本語を書き、できるだけネットで日本の新聞を読むようにしているが、それだけではだめらしい。できるだけきれいな日本語を話すようにしなくては。

Freitag, Oktober 21, 2005

グループ展「ほしじるし☆」

今日はちょっと宣伝。
妹が彼女の友だちと一緒に、麻布十番でグループ展「ほしじるし」を開催しています。
東京にお住まいの方、もしくは油絵・近代アートに興味のある方、是非寄ってみて下さい。
住所:
〒106-0045 東京都港区麻布十番2-11-3 加美弥ビル1F
TEL 070-5137-8576    FAX 03-3453-3017
詳しくはホームページをご参照のこと。
http://www.m-net21.org/index2.html

と言っても、24日までなので、もうあまり時間がありませんが・・・。

Donnerstag, Oktober 20, 2005

紅葉の秋

木々が紅葉している!葉っぱがホントに紅く染まっている。そんなの秋なんだから当然でしょうと思われるかも知れないが、ドイツ・少なくともベルリンではこんな紅い秋は見たことない。

「黄金の秋(der goldene Herbst)」と言われるように、ドイツの秋は普通紅くはないのだ。なぜなら、秋になるとたいていの木々は紅葉と言うよりは黄葉し、辺り一面黄色に染まる。それが天気の良い日なんかには、太陽の光を浴びて反射し黄金に輝き出すからだ。

ところがところが、今年は木々が赤・オレンジ・黄色と鮮かに紅葉している。私はてっきり、ドイツにあるほとんどの木は黄色にしか紅葉しない種類の木なんだと思っていた。
今年は毎年黄金に輝くカスターニエン(マロニエ)の並木道も紅紅しい。
持論ではあるが、これは今年の暖かい秋のせいだろうと思う。(もちろん、銀杏のようにいくら暖かくても黄色くしか紅葉しない種類の木もあるのだろうが。)

この「今年の秋は紅い」話を友達にしたら、「言われてみれば、そうだねー。あなたってよく自然を観察してるんだね。」と言う返事が返ってきた。別に意識して自然観察をしているわけではないんだけどねーと思う。ただ、やっぱり自然の四季の変容は好きなのだ。しぜんと変わりゆく季節の節々に目がゆく。

10月も終わりに近づいている。風が冷たくなってきた。寒くなる日々に対抗するかのように、紅葉した木々は暖色系の色を放つ。その紅葉した葉をはぎ取るように北風は、容赦なく吹き付け、葉が風に舞い上がる。
紅葉した木の葉の舞は、とてもはかなく、そして綺麗だ。
やっぱ、自然の美・趣は季節の変わり目にあると一人思う。


Mittwoch, Oktober 19, 2005

タンデム

タンデムと言えば、もともとドイツ語でも英語でも縦並びの2頭の馬、もしくはその馬車を意味するが、ドイツで(英語圏でも?)タンデム・パートナーと言えば、普通、それぞれが持つ語学能力を伝授または享受しあうパートナーのことを指す。例えば、私があなたにドイツ語を教える代わりに、あなたはスペイン語を私に教えるといった、簡単なもの。単純なギブ・アンド・テイク・システムだから、お金をかけずに外国語を学びたい人にとっては一番の方法。
タンデム・パートナーは、大学に張り紙したり、大学のタンデム・サイトに登録したりすれば、結構簡単に見つかるもの、だが、なにせ相手には当たりはずれがあるので、そこは要領よく相手を選別していかなくてはならなかったりする。

実は今日は、初のタンデム・デーだったのである。私のタンデム・パートナー、アンドレアとは、事前に何度かemailのやりとりをしていた。メールでやりとりしている間、私は、相手を名前から女性だと確信していて、アンドレアは私を男だと思っていた。幸いにも会う前に事実が判明したから、ちゃんと会えたわけでもあった。
アンドレアはイタリア人で、アンドレアと言う名はイタリアでは、男性の名前なんだそうだ。(普通多くのヨーロッパ諸国では、アンデレアスがアンドレアの男性バージョンなんだが。)もともとギリシャから来た名前で、「男」と言う意味がある。だから、彼に言わせれば、アンドレアが女性の名前という方がおかしいのである。

さて、私達の交換する言語は、日本語<=>イタリア語、と言うわけではなく、日本語<=>英語なのである。彼は、もうヨーロッパではまれでもない、trilingualで、イタリア語はもちろん、ドイツ語・英語にも精通している。日本語は、一年前にはじめ、12月にある日本語能力検定試験3級合格を目指しているところだ。
私の方と言えば、英語は自分の分野の学術的な文献を読むには差し支えないが、話すとなると苦労する。ドイツ語と英語はなまじ似ている単語が多いからか、英語を話そうとすると、口をついて出てくる言葉がドイツ語・もしくはドイツ語読みの英語になってしまうのだ。英語が話せて当たり前の世の中、やはりインターナショナルな場では英語は欠かせないし、そろそろ、英語を話すことに慣れなくてはと思っている昨今であった。(ドイツに来たての5年前はなるべく英語を使わずにがんばっていたのに変な話だ、とふと思う。)

そんな私達の会話はかなり変だった。なんか、知らないうちに、4つの言語が入り交じった会話になっていたからだ。でも、まあ私達のいたカフェが多民族のるつぼのようなところだったので、ふつうおかしな二人と思われても良い私達も自然とマッチしていた。フランス人のウェイターに、「君たちフランス語はどうなんだい?フランス語じゃなかったらオーダーはとれないよ。」と冗談を言われた(ちなみにドイツ語で)。

まぁこのタンデム今後どうなるやら分かりませんが、良いイタリア人の友達が一人増えたことに変わりはない。

Dienstag, Oktober 18, 2005

続けることに意義がアル

さて、このブロクを始めて一週間突破です!なんて、一週間ぐらいで喜んでちゃ先が思いやられる。とは言え、自慢じゃないが(ホント自慢でも何でもないが)、小学校時代、義務づけられて書かされた日記を別として、はっきり言って自分の日記は1週間続いたためしがない。小学校卒業以来、2年に一度くらいのペースで、何かしら日記を書こうと言う気にさせられる出来事にぶつかり、日記を書き始めはするのだが、どうも続かないのだった。飽きっぽいのか、日記を書く意味がすぐに見いだせなくなるのか、理由は定かではない。
日記に限らず、何か一つのことを欠かさず毎日続けるというのは、本当にすごいことだと思う。
「継続は力なり」と言うことわざがあるが、継続することによって何か力を得ると言うよりは、わたしは、継続それそのものが、もうある種の力なんじゃないかと思ってしまう。
そう、だから「続けることに意義がアル」をモットーにこのブログに向き合っていこう、と思う今日この頃であります。

Montag, Oktober 17, 2005

ねぶそく

またまたほとんど寝れずじまいで、帰りの電車に乗る。はっきり言って、この週末は、あわせて5時間も寝ていないんじゃないか。こんなハードな日々は、修論提出直前以来である。今回は、寝ていない+多量のアルコール&タバコが入っているから更にたちが悪い。もう、そんな若くないんだから、やめときゃ良いのにドイツ人の飲みっぷりに対抗してしまった。バカルディ・コーラーの甘さがまだ口の中に残っている。「もう、アルコールなんか一生見たくも飲みたくもない。」と強く思う。でもこれ、毎回飲み過ぎた後に重い頭を抱え後悔まじりに思うことだったりする。なんか、わたしって10年前からなんら変わっていない・・・。

Sonntag, Oktober 16, 2005

パーティー三昧

昨日というか、今日というか、ほとんど一睡もできずに、あたふたとクリの弟の家から両親の家へ引っ越し。そして、身なりを整え結婚式へ。
夕方5時から始まって、次の日の朝5時まで、なんと12時間も結婚式会場で飲んで踊っての大宴会。会場がお開きになってもなお私達は、と言うか私は半強制的に、数人の友達とクラブへむかうことに。家に帰ったのは朝7時。丸二日オール・・・。

Samstag, Oktober 15, 2005

ヴェルダー・ブレーメン



日本でブレーメンと言えば、やはりブレーメンの音楽隊だが、ブレーメンにはこれの他に少なくとも二つ、ブレーマーの誇りとして譲れないものがある。一つは、世に名高い Beck's ビールのふるさとだと言うこと。そして、もう一つは、ブンデスリーガのサッカーチーム、ヴェルダー・ブレーメンの本拠地であると言うこと。
何を隠そう、ワタクシ、この後者の誇りに同調させられ(・・るハメになり)、はや幾年、最近ついには自主的にヴェルダーの会員にまでなりせしめた。
そこで、ちょっとヴェルダー・ブレーメンについての予備知識:(サッカーに興味ない人にはどうでもいい話です。)
ヴェルダーは、ブレーメンで生まれ育った者ならもちろんだが、ブレーメンになんら関係のない人々の間でもけっこう愛されているドイツ・ブンデスリーガの1チーム。
ヴェルダーが愛される理由としては、バイエルン・ミュンヘンを代表とする金にものを言わせてスター選手を買いあさるような経済力が全てのチームと違い、少ない資金でドイツ各地、海外などから良い選手を発掘し育て上げていくアットホームでフェアなチーム、ということがよく言われる。
2004年には、ブンデスリーガだんとつ一位を長年キープし続けてきたバイエルンを下し、優勝!少ない資金=弱小チームという構図を打ち下した。更にブンデスリーガと平行して行われるドイツサッカー協会の勝ち抜き戦にも優勝し、全てのチームが最大の目標とする"ドゥブル"(英語のダブル)のタイトルを獲得した。今とても熱いチームなのだ。

さて、なぜ今ヴェルダー・ブレーメンについて書いているかというと、実は今日初めてヴェルダーの本拠地であるヴェーザー・スタジアムで試合を観戦したのである。
もちろん、ヴェルダーのユニフォームを身にまといヴェルダーのマフラー(しかも名前入り)を巻いて、ヴェルダー一色での応援。やはり、ホームでの試合だけあって、サポーターの応援にも熱が入っている。ウェーブが何度もいってはまた来て、ゴールや何やのたびにある、決まった応援歌や文句をみんなで叫んで、ヴェルダー・サポーターが一体になるのがまた楽しい。ヴェーザー・スタジアムは、大きくもなく小さくもなく、一階の席からはどこでも選手達が間近に見えて、やっぱアットホームで感激した。なによりも私にとって印象的だったのは、ヴェルダーを応援するファン層が幅広いこと。ちょっとそんなに興奮して大丈夫?と心配してしまうような、よぼよぼのおじいちゃん・おばあちゃん(!)から、バギーに寝かされている、生まれたばっかの赤ちゃんまで、老若男女にわたり、さすが、何世代にもわたって地域に根付いたサッカー・クラブだけのことはあるなーと感心させられる。
ヴェルダーの今回の対戦相手は弱小のニュルンベルクだったが、最初は苦戦させられ、結構ハラハラものだった。結果的にはまれに見ないほどゴールを決めまくり、6対2で勝利!さらに、いいのは、一位を争っていたバイエルンとハンブルクが、それぞれ引き分けと敗戦の結果に終わり、ヴェルダーが3位から1位に浮上したこと。
これ以上うまくはいかないと言う試合結果に意気揚々と歩いてクリの両親の家へむかう。
そして、夜中じゅうカレの誕生日パーティー。

Freitag, Oktober 14, 2005

ブレーメン "Ischa Freimaak!!"




今、ブレーメンに来ている。ブレーメンの音楽隊のブレーメン。クリの故郷である。クリの父、カレ50才の誕生日会と友達の結婚式と二つのパーティーに呼ばれ、電車ICで3・4時間ベルリンからやってきた。3泊4日の滞在予定。日曜まで、クリの両親の家はカレの友達でうまっているため、まずはクリの弟のところに泊まらせてもらう。
夕方5時くらいにブレーメンに着き、荷物を弟のところに置き、結婚式のプレゼントを買う。結婚する二人が、ご丁寧にも欲しい物リストを送ってきて、その中の、フォンドュー・セットと湯沸かし器を私達二人が請け負うことになっていたのだ。けっこう、合理的というか、現実的な結婚祝い。二人が欲しいというのなら、一生使わないような役たたずを贈るよりはずっと良いし、お金を贈るよりも、まぁプライベートな贈り物ということでいい。ただ、この贈り物はかなりかさばるので、欲しい物リストに載っている様々な日用雑貨、台所用品を一日に全部もらうとしたら、一体この二人はどうやって家まで運ぶのでしょう、といらぬ心配をしてしまう。

さて、今日の予定は結婚式の買い物だけじゃなく、メインは年に一度この時期にブレーメンで行われるフライ・マルクトに行くこと。
フライ・マルクトは日本で言うお祭りのようなもので、数多くの屋台が建ち並び、そこにプラス、移動式遊園地が設営される。北ドイツ一大きなお祭りであり(ちなみに一番大きいのはミュンヘンのオクトーバー・フェスト)、ドイツ一古くから続くお祭りでもある(since 1035!)。
屋台で際だって目立つのは、色んなメッセージが書かれた大小のハート型レープクーヘン。ひもが付いていて、首からさげられる。

お腹を空かせたクリ兄弟と私の3人は、真っ先に、このお祭り名物を平らげにまわる。
ロス・ブラートブルストという馬のソーセージ、塩漬けの若ニシンのサンドイッチ(結構しょっぱいが、魚自体がぷりぷりしている。)、シュマルツ・クーヘン(ドーナツよりも柔らかくふわふわした揚げ菓子、粉砂糖をまぶして食べる。)などなど。
お腹が落ち着いた頃に、移動式アトラクションでドイツ一大きい観覧車とドイツ一ループの多いジェットコースターに乗る、その名もオリンピック5輪。(ホントにどっちもドイツ一かはあやしい。)
その後、バイエルンのテントという会場でビールを飲み、日本のに少しは近づいてきた見応えのある花火を見て、最後の締めにトップスピンという激しい系のアトラクションに乗り、ふらふらしながら、その場を後にする。


<写真は、'小さい'フライ・マルクト。中世の面影が残る市庁舎前にも、アンティークな移動式遊園地が建つ。ブレーメンを守るローランドも首からレープクーヘンをさげている。>

Donnerstag, Oktober 13, 2005

朝ごはん



私の同居人は、朝ごはんを楽しみにしながら眠りにつき、朝ごはんを食べる為ならいくらでも早起きをするほどの、朝ごはん大好き人間だ。どちらかというと朝食よりも長く寝ていたい派で、結構その為に朝ごはんをないがしろにしてきた私としては、彼の朝ごはんに対する執着が最初のうちは理解しがたかった。そんな私も次第に彼に感化され、もう朝ごはん無しの朝なんて考えられないほどとなっている。最近ではお腹が空いて目が覚める。なるほど、彼の早起きは空腹によるものか、と納得。

自然のなりゆきで朝ごはんはだいたい同居人の彼が用意する。もちろんドイツの朝ごはん。
ドイツの朝ごはんと言えば、やはり、ブロートゥヒェン(Brötchen)という手のひらサイズの丸いパン(食感はフランスパンに似ている)とか、いろんな穀物の入ったフォルコーンブロートなどを、お好みで、チーズ・クリームチーズ・生ハム・サーモン・サラダ、甘党の人は、各種ジャム・蜂蜜・ヌテラ(チョコクリーム)などなど、パンにつけたり乗せたりする。ちなみに、ジャムは彼のおばあちゃん手作りのプラムやフサスグリ(Johannisbeere)のが絶品。
そして、紅茶。北ドイツ出身の人々は、好んでミルクティーを飲む(イギリスに近いだけあってか?)。紅茶はポットに入れて、さめないように蝋燭の入った台の上に置く。
それから、忘れてならないのが、ゆで卵(ドイツで朝食卵Frühstückseiと言えばゆで卵のこと)。半熟。卵スタンドにのったゆで卵のからを上の方だけむいて、後はスプーンですくって食べる。
普通ブロートゥヒェンは毎朝パン屋さんから買ってくるもので、できたてはすごくおいしい!!そして、このできたてを提供するパン屋がドイツではどんな家の近くにも必ずある。つまり、この朝ごはん用のパン屋はドイツ人にとってかなり重要なのだ。
でも、たまには気分を変えて、コーンフレークやいろんな穀物やドライフルーツ、木の実などの入ったシリアル(ミュスリMüsli)を食べたりもする。ミュスリは、ミルクだけでなく、プレーンヨーグルトに混ぜて食べるのもあり。

週末など時間のたっぷりあるときは、気がつくと3時間くらい朝食している。新聞を読みつつ、紅茶をすすりつつ、日当たりの良いキッチンで時間が経つのを忘れてしまう。

Mittwoch, Oktober 12, 2005

結婚について

最近、身近な友人に、結婚した人や、結婚をしようとする人が多くなってきて、つい ‘結婚’ について考えさせられる。やはり年齢30は大きなめどとなっているらしく、この結婚の波はこれまでの中で一番の大波!

なんかドイツに住んでいると、あまりにも自由な夫婦、パートナーシップ、結婚、家族のあり方があって、既成の結婚制度の意義すらあやふやになっているから、結婚について、それまでとは違う見方をするようになってきた。
だって、ここは特にベルリンはホントなんでもあり。結婚してなくても子供がいる夫婦(パートナー?)があたり前のようにいる反面、同性愛者の結婚だってありだし、結婚・離婚・再婚をくり返した末に、俗に言う ‘パッチワーク・ファミリー’ を形成する夫婦も少なくない。そのうち、家族の定義もあやふやになってくるから、最近では、‘子供のいるところ、そこが家族のあるところ’ なんてスローガンチックな家族の定義が主流になってきている。
そんなドイツでは一般的に結婚の二文字に体裁や年齢というファクターが結びついていないため、愛し合う二人が結婚という選択をする基準は、純粋に結婚という制度が自分たちの生活に利をもたらすか否か、になってくる。結婚の理由が税金対策て言うのはざらだし、主婦・主夫をパートナーに持つ人の場合、子供ができると結婚していた方が家族手当が出て得だとか、かなり経済的要因が絡んだ理由にたどり着く。びっくりするほど、結婚に対してフランクな考え。
こうやって、自分にあった夫婦・家族のあり方を選べるのは、逆に言えば、それを認める、社会・社会制度があるということ。
日本でも、最近、事実婚にふみきる人が増えてきていると言う話を聞くけど、現実的に社会の制度もろもろが、そういう多様化してくる結婚観にちゃんと対応してはいないから、既成の結婚制度以外は選択の余地があまりない、つまりそう簡単に他の選択はできないようになっている。
しかも、納税・福祉・家族制度の根底で基準となっているのは、働く夫と主婦からなる家族。つまり、この型の家族が一番優遇されるようなっている。女性の個人の意志、もしくは夫のリストラを危惧してなど共働きをする夫婦が多くなっていったり、事実婚が増えたりする中、制度が時代に合わない、窮屈な社会ができあがっているのではないか・・・。

なーんて、つい話が社会問題へとふくらんでいってしまったーー。職業病だわん。
話を等身大にもどすとすれば、私は今、いわゆる、同棲中で、そろそろ結婚?とかよく聞かれるけど、私達は結婚が必要になったら結婚すればいいとお互い思っている。やはり、国際カップルなので、滞在ビザ、労働ビザのことを考えると、結婚をするのは私達にとって得というか、まぁその方が全て簡単になる。だから、いずれは婚姻届を出すことにはなるのだろう。

そんな考えとは別に、最近の結婚式ラッシュで、今年に入って友人や彼の友人の結婚式にもう3つも参加したが、毎回感動と幸せの時間をおくり、結婚というよりは、結婚式にあこがれる。そして、密かに、結婚式をしたいから結婚というのもありだな。と考えている。
今週末、また結婚式に呼ばれている。これでまた、この考えがふくらんでいくかも。

Dienstag, Oktober 11, 2005

晴天なり



ベルリンにしてはかなり珍しく、ここ五日、雲一つない晴天が続いている。ここ五日とはっきり言い切れるのは、ベルリンに来ていつの頃からか天気をつけている手帳のカレンダーによる。ちなみ記入するのは晴れか雪の日のみ。(天気をつけてるって言えるのか?)晴れの日には太陽マーク、雪の日には雪だるまマークをつける。ここ五日、カレンダーには太陽が5つ並んでまぶしい感じだ。
今年の秋は、例年に比べてすごく暖かい。10月も半ばになると言うのに毎日20度。天気が良いだけでなく、大気も暖かいのだ。
確か、9月末のベルリンマラソンで、ツーリヒとブレーメンからわざわざマラソンしにやって来たクリの友達を応援しながら、「この暖かさはもう今年で最後だろうねー。」なんて話していたけど、有り難いことに最後にはならず、先週末も、同じようなことを聞いたり言ったりしてたけど、最後も何も、まだまだ暖かい日々はこうして続くのであった。
ドイツ人が少しでも太陽が出ると、こぞってひなたぼっこし始めるというのは、ちょっとドイツに滞在したことのある人ならすでに経験していることだと思う。もちろんこの晴天の数日は、大人も子どもも、公園で寝そべり、カフェテラスや道端のベンチで太陽を仰ぎ、ひなたぼっこに余念がない。まーみんな嬉しそうな顔してること。子供はとにかく大人達には、君たち仕事はどうしたんだい?と聞きたくなる。太陽が出てるから仕事中断てのもあり得なくない。
冬に入る前の暖かい秋の日は、‘ひなたぼっこ’と言うよりは、やっぱドイツ人の言うように‘太陽補給(Sonne tanken)’ということなんだろうと思う。リスが長く寒い冬を乗り越えるため、ドングリをせっせとかき集めて、枝の間の巣にしっかり貯蔵しておくような、そんな感覚。太陽は補給するものなのだ。
そう、今日は私も南むきのベランダで文献を読みつつ、しみ・そばかす、なんのその、日本人女性にはあるまじきほど無防備に太陽光線を吸収した。だって、この暖かさは今日で最後だろうし、灰色の冬を乗り越えるためには、かかせない。

Montag, Oktober 10, 2005

のらりくらり



ベルリンの10月。と言っても、もう10月に入ってから10日も経ってしまった。と言うことはロンドンから帰ってきてもう一週間にもなるわけだ。なんか、のらりくらりと一週間経ってしまった。
そう、先週の今頃は、睡眠不足と疲労のため爆睡していたはず。ロンドンからベルリンまで2時間弱の空の旅♪のはずが、まさかのまさか18時間の帰途に及ぶとは全く誰が思ったであろう。
「これじゃぁ、日本からだって帰って来れたよー。」「ほんと、長旅してきたような疲労感・・・。」私と同居人兼彼氏のクリはトランクを引き引き、言葉少なに家路への最後の10メートルをとぼとぼ歩き、無事帰宅したのでした。

この最後の18時間を除けば、今回のロンドンはなかなか素敵なものだった。このロンドン訪問最大のきっかけは、なんと言っても、友人フランクが長年の恋人ニニータとついに結婚式をロンドンで挙げることになり、お呼ばれした、ということにある。結婚式だけに行くというのも何だし、クリにとっては初めてのロンドンだったこともあり、3泊4日で観光の日取りもとったのだ。

ロンドンはさすがヨーロッパで一番栄えている街だけあって、ベルリンという田舎町(sorry! Berliner!)から出てきた私達には何もかもが煌びやかに見えてしまう。もともと東京人である私は久々に都会な感覚を楽しんで、さぁショッピングだ!と言う勢いではあったが、何はともあれ貧乏研究生、ロンドンのお値段には手も足も出ないのでした。

10月1日の結婚式の前日、パブを貸し切っての前夜祭。フランクとニニータに会うのは二月以来。その後彼らはベルリンからハンブルクに越していったのだ。フランクはドイツ人。彼は私がベルリンに滞在して以来の友人だ。ベルリンでできた初めてのドイツ人友達と言っていいだろう。そのころニニータはまだイギリス・ロンドンにいて、彼らは遠恋をしていた。ニニータはインド系イギリス人。2年前にロンドンからフランクを追ってベルリンへやって来ていた。今年、フランクがハンブルクのインターナショナル・スクールに、また、ニニータが同じくハンブルクの幼稚園にそれぞれ先生として就職が決まったのをきっかけに結婚することになった。
沢山の友達が二人を祝福するためにロンドンに集結した。いくつかフランクを通して知り合った友達の顔も見える。ロンドンでみんなで会うなんて変な感じ。いつもならここは、ベルリンのクナイペのはずだから。

結婚式は、待ちに待ったインド式!映画「モンスーン・ウェディング」の世界。ニニータの家族、友達はこぞって色とりどりのサリーを身にまとい、会場を華やかに飾る。花嫁ニニータは金色のサリー、花婿フランクはインドのスーツを着て登場した。
結婚の儀式では、まず、ヒンドゥー教の僧侶のような人が聖典を二人に読み聞かせ、その間、聖典の一節一節ごとに、花嫁はお米と思われる穀物を、花婿は黄色い花を、像の神様「ガネーシャ」の前に備える。その聖典の儀式が終わると、花の首飾り「ジャイマラ」の交換が二人の間で行われ、これを持って結婚が成立する。
その後は歓声と拍手とともにインドの太鼓が鳴り響き、花嫁花婿はそれに合わせて踊り、歓声は更に大きくなった。
思わすジーンと来るご親族の挨拶、そして、お食事。ちろんインド料理。カレーのビュッフェ。
インド音楽とインドの踊り。
ロンドンでインド一色になる。

ロンドン滞在最後の日となるはずだった次の日は、午前中から午後にかけて、散歩そしてロンドン・アイからロンドンの街を一望。
それからの18時間の帰途については、実を言うとこの一週間のあいだに、その時の憤りも疲労感も面白いほどきれいさっぱり私の感情から消え去って、なぜか実感として思い出せない。帰ってきた直後は、何人もの友達に憤りに任せて話しまくったのに。結構どうでもいいことだったのか。今はわざわざ人に伝えるほどのことでもないように思える。そういうわけで、その後の18時間話は、またいつかの機会に。あの時の感情をまた思い出したら。

本来書こうと思っていたのは、ロンドンから帰ってきて、一週間、のらりくらりと過ごしてしまった、と言うことだったのだ。のらりくらり生活にけじめをつけ自分にちょっと喝を入れようと書き出した。(ロンドン話に夢中になって、忘れていたが。)何をこの一週間したって、友達と会ってくっちゃべり、眼鏡屋に行って、視力を計り直し、視力低下にショックを受け、新しいお試しようコンタクトを受け取った。ああ、笑っちゃうほど面白くない映画も見た。

さて、明日からは、論文の文献を読んでいかなくては。来週からまた大学が始まる。